【たしろ ただくに】
【人物】
- 宝暦7年(1757)〜天保元年(1830)
- 秋田藩士、8代藩主・義敦家臣
当時画業に力を入れていた藩主・佐竹義敦に仕え、小田野直武らと秋田蘭画グループを形成し、秋田派の隆盛に貢献した。
一説には平賀源内から直接西洋画法を教示されたという説もあるが真偽は不明。
義敦の死後、彼が建てた別荘の雪見御殿こと『飲山亭』は荒れ果てた折、飲山亭の扁額は忠国の手に渡り岩野(秋田市川尻上野町)の別荘にかけていた。
真澄はこの別荘に文政のある年の春に訪れて花見をしたと《久保田の落穂》に記している。
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最終更新:2023/3/2
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