大友沼(小友沼)


おともぬま

能代市腹鞁ノ沢

 

最終更新:2023/1/15

風が強かった


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:文化3年(1806)3月
  • 年齢:53歳
  • 書名:かすむ月星
  • 形式:日記、図絵

真澄記:3月7日

『能代の岡に登り、坊が崎に出た。

潮乾田(塩干田)・田屋を経て大伴の堤(小友沼)というところに来る。大層大きく、幾千町の田に水をひくことができるだろうかと思われる。

大伴の何とかという人が築いたのか由来はわからないが、その形が靭(とも、弓を射るとき左のひじに結びつける皮製の具)に似ているのも面白い。』

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 水をへだてて、新田・中沢・今泉というささやかな村々が見えた。この村を過ぎてゆくと、梅の咲く家があった。

    沼は、秋田藩主・佐竹義宜の重臣、梅津政景・忠雄の父子二代にわたって、元和3年(1617)から延宝3年(1675)まで の58年間をかけて造られた。
現在も約830ha の水田を潤しており、大正後期に築造された全国でも珍しい扇形分水路により、放射状にかんがい 用水が配水されている。

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📍 標柱 表記データ

前:菅江真澄の道 小友沼(大友沼)

横:文化三年(一八〇六)三月七日

《かすむ月星》

 能代の岡に登り、坊が崎に出た。歩き続け、賢所(柏子所)を右手に、大内田を左手にみて、潮乾田(塩干田)・田屋を経て大伴の堤(小友沼)というところに来る。

周囲をめぐると大層大きく、幾千町の田に水をひくことができるだろうかと思われる。大伴の何とかという人が築いたのか、由来はわからないが、その形が靭(とも、弓を射るとき左のひじに結びつける皮製の具)のまかれているさまに似ているのも面白い。

 水をへだてて、新田・中沢・今泉というささやかな村々が見えた。この部落を過ぎてゆくと、梅の咲く家があった。

 撤去済み。

代わりに『市民が選んだ新能代八景』という標柱が建っている。

他7景は風の松原、白神山地、はまなす画廊、桧山、エナジアムパーク、米代川、けやき公園。

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 あ



◆アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:なし
  • 備考:沼の横に散策路が設けられています。

関連リンク

  • 機織村

◆参考文献

国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書別集3

・真澄紀行/菅江真澄資料センター

・各種説明板


取材日:2018/03/20