脇本城跡・菅原神社・細葉の椿

脇本城跡・菅原神社・細葉の椿(男鹿市)

わきもとじょう・すがわらじんじゃ・ほそばのつばき

男鹿市脇本七沢生鼻岬

 

最終更新:2024/1/27

冒頭のひとこと


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:文化元年(1804)8月
  • 年齢:51歳
  • 書名:男鹿の秋風
  • 形式:日記、図絵
  • 詠歌:生ひ茂る 細葉の椿ふとまにの うらなみかけて八千世經ぬらし

真澄記:8月24日

 生鼻崎に登り、かつてここに城を構えた安東友季と同族の城介実季(秋田氏)の対立の逸話を記録した。

また城跡に登り、太平山・森吉山・姫ヶ嶽が見えるを一望した。

見出し

 《》

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📍 標柱データ

前:ああ

ああ

横:

ああ

後:ああ

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◆脇本城

📑 伝説

ああ

⊞ 脇本城(説明板より引用)

・脇本城は、古くから男鹿半島を掌握する要害であり、
 安東愛季が天正年間(1573-1591)に再整備した城。

・脇本城跡の特徴について

①規模 東西約1.8km。南北2.0km。
 全体の面積が約150ヘクタールと考えられいる。

②遺構
 自然地形に即して堀切や空堀・土塁・曲輪・段築・馬出し・虎口・木戸など認められる。
 城の斜面などには空堀・土塁により迷路を造ったり、通路をさえぎるよう工夫をしている。
 西側急斜面の30本以上に及ぶ大規模な堅堀・堅土塁群。

③主要道路「天下道」
 船越方面から脇本集落を通り、城内を通過し船川、北浦方面に通じる主要道路。

④城の北側「田谷沢道」
 切通しとなっており、要所に折りや行き止まり状の遺構を設ける。

⑤城下町・脇本本郷集落
 中世の城下町の景観を残しており、城下町特有のカギ型通路が今でも残っている。

⊞ 脇本城の変遷(説明板より抜粋)

  • 天文8年(1539) 愛季、檜山城主舜季(きよすえ)と湊城主尭季(なかすえ)の娘との間に出生したと伝う。
  • 元亀元年(1570) 湊安東家内紛。愛季、湊安東家を配下に置く。
  • 天正3年(1575) 愛季、織田信長に鷹を贈る。
  • 天正5年(1577) 愛季、従五位下に叙位。嫡子業季(なりすえ)に湊・檜山の両城を譲り脇本城に居城。
  • 天正8年(1580) 愛季、従五位上に叙位のうえ、侍従に任命される。
  • 天正10年(1582)実季(さねすえ)が湊城主となる。信長、本能寺で殺害される。
  • 天正15年(1587)九月、愛季が淀川の陣中にて病死し、遺骸を脇本城下の法蔵寺に葬るという。
  • 天正17年(1589)豊島城主湊通季(みちすえ)が実季を攻撃す。実季は檜山城に逃れ籠城し勝利する。
  • 天正18年(1590)豊臣秀吉が奥州仕置きを指示。この時脇本城も廃城を申し渡されたと推定される。

◆菅原神社

⊞ 菅原神社(説明板より抜粋)

  • 学問の神・菅原道真公を主祭神とする当神社は正応年中(鎌倉時代)の創建
    当時、男鹿を領した安東氏の氏神として祀られ、男鹿鎮護の総社となし神領百六十石を寄進。
    その後、安東愛承、実承、引き続き崇敬、天正19年再建す。
  • 安東氏常陸へ国替の時、遷座しようとしたが、当地に鎮座の由 託宣が下り、以降、脇本村で維持管理することになる。
    当初は脇本城(太平山と真向かいに見るので太平城とも言う)本丸南山上に位置していたが、 江戸時代初期 承応2年の地震により山が崩れ、佐竹藩家老真崎兵庫介 地行地の飯村開田の祈願成就の報寳として村人に詔り社殿を再建す。
  • その後、真崎家代々に亘り、幕末 慶応3年まで約200年間毎年の祭礼に玄米九斗八升づつ献納、 江戸時代の全国的な天神信仰の浸透とともに御紋御燈籠一対奉納。
    義和公文化年中三度参拝。初穂科々扇子奉納。
    当神社午王獅子が安東氏の御印燈のもとに、春秋二度、男鹿鳥中、湖東部、能代桧山まで廻った。
    この獅子廻村は佐竹藩になってからも旧例通り認められ江戸中期まで続いた。
    明治以前は社家(伊藤家)と、山伏修行(安後坊、宝蔵坊など)の共管であったが、明治維新で修験道が廃止された。
     当社は学問の神として崇敬されていることは広く知られているが明治以降、
    村内に祀られていた村社・神明社(天照大神・伊勢皇大神宮) 保食神社(豊受大神・伊勢豊受大神宮)、白山神社(白山媛大神・白山比咩神社)を合併。
    後に金刀毘羅大神を合祀。産土神として農業・漁業を初め諸業発展・交通安全・縁結び・安産祈願等の信仰が厚い 主祭神・菅原道真公のご神霊は京都・北野天満宮より分祀されたものである。
     現社殿は、権現造りの建築様式で氏子内外の赤誠を結集し建立したもので、昭和五十七年竣工した。
    境内より湧き出て手水石に流れる清水は、古来より学水と称し、この水で墨を硯ると習字が上達し、 又、諸病に薬効ありと言われる霊水である。

◆細葉の椿

⊞ 細葉の椿(説明板より引用)

ヤブツバキの一種。
葉が細く、4月中旬頃からピンク色の花弁をつける。
樹齢400年以上と推定される。

  • 真澄記:天満宮の神垣にはいって額づく。
        実季も友季もこの神を朝夕に祈り敬い、その社前に占いなどしたという。
  • 真澄詠:生ひ茂る細葉の椿ふとまにのうらなみかけて八千代経ぬらし


アクセス

  • 駐車場:あり(天下道を登り城跡入口にも駐車スペースあり)
  • 案内板:あり
  • トイレ:なし
  • 備考:晴れた日の海景色は絶景。菅原神社への参道と、舗装道路の二つ登り道あり。

関連リンク


◆参考文献

・菅江真澄全集

・菅江真澄遊覧記第5巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書 別集1巻

・真澄紀行/菅江真澄資料センター

・各種説明板


取材日:2016/07/07

2017/04/28