綴子

綴子

つづれこ

北秋田市綴子西館

 

最終更新:2024/1/30

冒頭のひとこと


🖌菅江真澄の道

  • 来訪:文化4年(1807)5月
  • 年齢:54歳
  • 書名:おがらの滝
  • 形式:日記

真澄記:5月27日

 朝早く、前山・坊沢を経て綴子の宿駅に着いた。

綴子の名の由来と当地の学者・修験者般若院英泉の業績を語り、般若院の事績を絶賛している。

 

📑 真澄記:『綴子』の由来

 斉明天皇の5年(飛鳥時代)、蝦夷の乱を阿倍臣をつかわして平定した。

飽田・能代・津軽郡などの蝦夷がみな従い奉ったが、そのとりこ4人、胆振鉏(いふりさえ)の蝦夷20人あまり同じ座でみあえし、禄を賜わった。

船一隻と五色の綵帛とをもって、かの地の神を祭しめさねり、肉入籠(ししりこ)に至ったとある(『日本書紀』巻二十六から引用)。

その肉入籠(ししりこ)をなまって、いまは綴子と書くようになったといわれている。

おがらの滝

インテリの村

 真澄翁は綴子に逗留したが、その背景には江戸時代中期の内館塾教授・宮野尹賢や後述の般若院英泉などの学術者を輩出した気風があり、学問に対する深い理解から多くの文人墨客を受け入れる風潮が整っていたためとも思われる。 

綴子神社

◆綴子神社 由緒

  • 創建:第37代斉明天皇5年(659)飛鳥時代
  • 御祭神:八幡山大神、天照皇大神、豊受比売神 他
  • 例祭日:7月14日・15日
  • 特殊神事:日本一大太鼓奉納行事
  • 元の名:宇佐八幡宮

●千年桂

 樹下に大桂神社をまつる神木。

縁結び、子宝、安産の神とされている。

町指定天然記念物。

 内館文庫跡

 内館塾は、江戸時代に綴子神社別当の武内氏が秋田藩の許可を得て経営した私塾。

宮野尹賢や般若院英泉などの著名な学者が塾生の指導にあたり、学問に対する受容を深める気風をつくった。

 塾は明治7年(1874)綴子小学校が創立されるまで続いた。

⊞ 余談

 綴子小学校の訓導(教員)の1人に鹿角市毛馬内出身の近代東洋史学の内藤湖南も務めていた。

 

湖南は内館文庫の蔵書によって日々勉学に励んでいたとされる。

 内館塾の名残である内館文庫には、蔵書が版本・筆写本など合わせて850種、1500巻余に及び、神道・修験道・儒学・仏教・国文・国学・天文・暦学・医学など広範囲にわたる。

 

      史料・典籍の収蔵は以前は宝物殿にて保存されていたが、昭和35年(1960)県指定文化財史跡に指定されてからは保存に万全を期すために鉄筋コンクリートの書庫が建設された。

標柱
📍[コラム] 標柱データ

前[コラム]:ああ

ああ

横:

ああ

後:ああ

 b

学才・般若院英泉

 般若院玉峯英泉は江戸時代に久保田藩で活躍した宗教家・教育者である。

幼い頃から内館塾で勉学に励み、全国を遊学・行脚して秋田初の刊行物『訂正本・佛母孔雀明王経』を出版した。

 関係の文書、英泉の著書、草稿写本等800点はすべて内館文庫に所蔵されている。 

⊞ 紀年碑碑文

 

佛母孔雀明王経三千部

寿命百歳

常時共楽

 

龍峯

 



アクセス
  • 駐車場:あり
  • 案内板:なし
  • トイレ:あり

関連リンク
  • 綴子大太鼓
  • 七座神社(神宮寺職として神官は代々別当を務めた)

◆参考文献・資料
駒澤大學佛教學部研究紀要

「内館文庫所蔵資料の研究(三) : 「柱源神法」関係資料と、般若院英泉の修験教義研究書」/石川 力山・佐藤俊晃(共同研究)

・菅江真澄遊覧記第4巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

・東洋文庫 菅江真澄随筆集/内田武志 編
国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書別集 第3

・真澄紀行/菅江真澄資料センター

・各種説明板


取材日:2017/04/15

2022/11/15