鷹匠


鷹匠

【たかじょう】

【職業】


編集中

 東成瀬で鷹使いを始めたのは幕末頃からと思われる。岩井川の鷹使いの歩みをみると、旧藩時代、横手藩の鷹匠・石沢勘兵衛とその弟子・平山勇吉から、岩井川の谷藤金蔵が下夕狩(勢子)をしながら言い覚えたものだという。また鷹おろしは角館藩の鷹匠・高畠市蔵からした習得ものと思われる。

 明治期から大正までの鷹使いとしては冨田万吉、佐藤小吉、冨田助五郎、谷藤安吉、佐々木喜助、谷藤豊治、谷藤長治、富田五郎、冨田福蔵、谷藤栄松、高橋与之助、佐藤巳之松、谷藤岩雄らがいた。

 最後の鷹使いは岩井川の谷元兄一で昭和28-29年のニカ年で伯父の谷藤岩雄から鷹使いの技術を習得している。

 鷹使いになるには、その主であるを捕まえることからはじまる。これを『鷹おろし』という。

捕まえるためにそれぞれよい場所を選んで小屋をつくる。 クマタカの生息地は人里離れた奥山で、小屋は四方の見晴らしのきく場所が選ばれた。

屋根と周囲をカヤでおおって四方に覗き窓を作り、人がその小屋に隠れて来るのを待った。

その小屋から一間半(約2.7m年)くらい離れた所に『網場(あみば)』(鷹捕り場)といい、囮を入れておく小屋を作った。

 囮はハトか小ぶりな樺色のニワトリを入れる。

鷹が舞い降りて来ると仕掛けが外れて大方網をかぶり捕まえられた。

一般には9月10日頃の快晴の日を選んで行われた。

 岩井川に佐藤小吉といい、クマタカを飼い慣らす名手がいた。少なくとも20~30羽を飼い慣らしていたという。


●鷹狩り

 鷹を使う季節は12月から翌年3月までの冬期間で、雪が降ってからである。

天気の良い日に鷹をつれて山へ出かける。鷹の足におよそ8寸(約24cm)の縄(小足縄という)をつけ、左の手に厚い手袋をはめて鷹を止まらせた。

鷹が捕まえるのはほとんどノウサギであった。

猟は単独で行く場合と、勢子と組んでする場合がある。勢子と組むときに注意しなければならないのは、鷹を勢子に慣れさせることである。

 勢子がウサギを追い出すと、鷹は目ざとく見つける。頃合いを見計らって放つと鷹はウサギを押さえる。 捕りそこねた場合は『それ鷹』というが、えさを与えて呼び戻す。

 ウサギの前肢の肉を少し切り取って与えると、鷹は満足する。押さえたウサギを鷹に放させるためには、鷹の脛(すね)の筋の所を左右交互に握りしめると、獲物を放した。

出典:『東成瀬村郷土誌』より


●鷹おろしの方法 略図

・鷹は、囮を見つけてもすぐには飛んでこないの で、山のかげや林を旋回したりして気のつかないふ りをし、頃合いを見て一気に矢を射るようにおとりに つっかけて来る。そしてまんまとあみにひっかかるというわけ。

・縄を緩めれば日が地につき同時に囮が静止する。

・小屋で縄を引けば囮はとびあがり、羽根をばたばたさせて鷹の目につきやすい。

囮はほぼあみの中央に位置するとこに仕掛ける。

・網はゆるく張っておき特殊な仕掛けにより鷹がつっかけてくると、網は鷹を自動的に包むようになっている。

・たかまち小屋

小屋はうまく擬装し鷹に悟られないように工夫して作る。人は小屋の中で、のぞき窓からたえず四方に目を配る。折々縄をひっぱりおとりをばたばたさせる。



でわwiki関連リンク
  • マタギ

◆参考書籍

・菅江真澄全集第

・菅江真澄遊覧記第 巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

・秋田叢書 巻

・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種標柱・説明板


最終更新:2023/3/14