平 将門


平 将門

【たいらの まさかど】

【人物、信仰】

 

豊原国周『平将門島広山討死の場』より
豊原国周『平将門島広山討死の場』より
  • 平安時代の豪族

  • 出身地:不詳

  • 生没年:延喜3年(903)?~天慶3年(940)

  • 別名:坂東の虎


編集中

 平安時代の関東の豪族。

己の伯父達との戦に勝利し坂東八州を治めた来たる武士時代のパイオニアとも呼ぶべき存在。


 やがて将門は八幡大菩薩の神託を受け『新皇』を名乗り朝廷に弓を引き壮絶な最期を遂げた。死した将門の怨念は凄まじきものと今に伝えられる。


【将門の陣幕】

 美郷町六郷の照楽寺には平将門伝来の陣幕が伝わる。

寺の開基は和賀郡で開祖・法秀は陸奥相馬氏の出身であり将門のルーツに繋がる事から伝わったと考えられている。


 真澄翁《月の出羽路 仙北郡》 では、長さ五間(900cm)で古幕一張と鏑矢の模写図絵が記録されている。



●秋田の伝説:将門の宝

南秋田郡井川町

 井川町赤沢は、平将門が関東地方でのいくさに敗れ、のがれてきた所といわれている。

そして、この村には、むかしから、「東のお日さまも西のお日さまもあたらぬ所に、将門の宝がうまっている」といういい伝えがある。

 村の人たちは、ずうっと、そこはどこだろうと考えてきた。ところが、朝日も夕日もあたらない場所が、一か所だけある。 つつみの沢という所である。だが、まだだれも手をつけた者はいない。

 赤沢は、もとは明けの沢といったが、いつの間にか赤沢とよぶようになったということである。


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◆参考文献

・菅江真澄全集

国立国会図書館デジタルコレクション

・秋田叢書 巻

・豊原国周 平将門島広山討死の場(編集・加工済)


最終更新:2024/3/26