岨谷峡


そうやきょう

秋田市河辺岩見岨谷

 

最終更新:2024/1/21

『岩見峡』とも呼ぶそうです


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:文化8年(1811)8月
  • 年齢:58歳
  • 書名:勝手の雄弓
  • 形式:図絵

真澄記:

 日記の中で岨谷峡を描いた図絵を残しており、ここから中山峠を越えて鵜養や殿渕、伏伸の滝、舟作などの景勝地へ向かった。

見出し

真澄記:


勝手の御弓

 岨谷峡は和同年間(708~715)に鵜養の沼が破れた時にできたとされる。


◆辺岨神社

創建:昭和61年


 元々あった岩見神社を、『秋田の中心地=ヘソ』にあやかり河辺町の「辺」と岨谷峡の「岨」を当てて辺岨神社とした。

◆殿淵

 名称の由来は諸説あり、

①昔、殿様がこの渕を遊覧した時に誤って落馬したことから。

②藩主佐竹義隆公が訪れた時、金銀の銭を渕にまいて漁師らに拾わせたことから。

 

 鵜養の先、川と平行して遊歩道が続く。

◆伏伸の滝

『ふのしの滝』と読む。

昔は滝つぼに鱒が多く集まり、農業用のモッコを仕掛け漁をしたことからモッコ滝と呼ばれた。

◆舟作

 名称の由来は、

①水流によって削られた岩盤の溝が舟の形をしていることから

②菅江真澄は日記《勝手の雄弓》に舟作の図絵を描き、湖であった昔、小鮒などを漁していた場所で、鮒雑魚(ふなザッコ)と呼ばれた変移であろうかと記す。


現在は前述の由来が通説となっている。


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アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:あり
  • 備考:遊漁券あり

関連リンク


◆参考文献

・河辺町史

国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書別集 第4

・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種説明板


取材日:2017/11/9