三途川


さんずがわ

湯沢市桑崎天矢場

 

最終更新:2024/1/21

三途の川の渡し賃 六文銭の御用意を


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:文化11年(1814)9月
  • 年齢:61歳
  • 書名:高松日記
  • 形式:日記、図絵
  • 詠歌:ああ

真澄記:9月5日

 坊沢から三津川(三途川)村に来てしばらく休んだ。ここを勢いよく流れる川は、泥湯川・川原毛川・桑野沢川の3つの瀬がひとつに落ち合ってその名を三津川という。

近くの十王堂にはたくさんの木仏が並ぶ。

 


《高松日記

標柱

 倒壊、放置。

駐車場の隅っこにひっそりと土を被っている。おかげで何書いてるか分かりゃあせぬよ。湯沢市の標柱倒壊率は群を抜いておる。

やはり豪雪地帯の中の維持は難しいか。

 三途川渓谷の周辺でよく見られる地層は『三途川層』と名付けられた。かつて大きなカルデラ湖があり、層はこのカルデラ湖の底に泥や砂、火山灰などが堆積したものである。

《説明板より》


◆三途川十王堂

🖌菅江真澄の道
  • 来訪:年()月日
  • 年齢:ああ
  • 書名:ああ
  • 形式:ああ
  • 詠歌:ああ

真澄記:ああ

 

真澄記:9月5日

 三途川には奪衣婆(うば)の像を造りすえてその由緒で優婆堂村とよんでいる。

その中に道祖神が祀られており、女陰の形をじた石が多く置かれている。

 十王道があり、たくさんの木仏が並んでるなかで御幣を持った仏が5、6柱もある。

由来不明。

 《高松日記

⊞ 伝説:三途川十王堂伝来諸像(説明板より)

 

 今から1190年程前に、川原毛地獄山に建立された霊通山前湯寺は、明徳4年(1393)、栴檀(せんだん)上人によって此の地に移された。

栴檀上人は、自分の願いが叶ったとして、自ら火定(焼身自投)によって大往生を遂げた。その場所は近くにあり『栴檀塚』又は『千駄森』と呼んでいる。

 

 長祿元年(1457)稲庭城主・小野寺道広は、この寺を住僧養国祖璨(ようこくそさん)和尚と共に稲庭に 移し、(寺号を嶺通山広沢寺と改め)小野寺氏の菩提寺とした。

 小野寺氏は前湯寺を稲庭に移転するにあたり、この地に十王堂を建立した。

 

 昭和43年、湯沢市の湯沢市指定有形文化財に指定されている。

 

(説明板より)

 


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アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:なし

関連リンク


◆参考文献

・菅江真澄遊覧記第5巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書 第3巻

・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種説明板


取材日:2018/11/03

2021/10/15