来訪神


来訪神

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 年に一度、決まった時期に人間の世界に来訪するとされる神。

多くの場合は仮面に仮装した異形の姿で現れ、豊饒や幸福をもたらすとされる。行事ではその地域の住民等が神に扮する。


●吉浜のスネカ

岩手県大船渡市

開催日: 1 月 15日

 小正月の晩、スネカは藁ミノを身にまとい、腰にアワビの殻を下げた姿で、三陸町吉浜地区の家々を巡り歩きます。

地域の人々は、子どもたちの健やかな成長を祝福し、 豊漁・豊作をもたらす来訪神として、古くからスネカに親しんできました。

スネカの独特の風貌や所作は、三陸海岸における来訪神行事を代表するものとして注目されています。

 『スネカ』という呼び名は、脛の皮を剥ぐという意味の『スネカワタグリ』が転じたものです。冬の間、仕事をせず囲炉裏に長くあたっていると脛に赤い火だこができることから、スネカはこれを剥いで怠け者を懲らしめるといわれています。

一年に一度だけ、忽然と現れては去っていくスネカは、豊かな恵みをもたらしつつも時折牙を剥く自然に対して、先人が抱いてきた生きる知恵として今に伝えています。


●遊佐の小正月行事(アマハゲ)

山形県遊佐町

開催日:1月3日(女鹿)、1月1日(滝ノ浦)、1月6日(鳥崎)

 『アマハゲ』とは、遊佐町吹浦地区の女鹿・滝ノ浦・鳥崎集落に伝わる民俗行事です。

『鳥追い』、『ホンデ焼き』とともに、正月に行う一連の行事として、『遊佐の小正月行事』とされています。この地域では、年初に当たってアマハゲと呼ばれる神々が訪れ、人々に祝福を与え、餅をやりとりするなどして、集落の豊穣を約束します。

 アマハゲは、集落の神社で祈祷を済ませ、『ケンダン』という藁を何重にも重ねた簑を身にまとい、各戸を回ります。

家に入ると、家主と新年の祝いを交わしたのち、身を揺すりながら大声をあげ、子供や娘、若嫁や若婿などを威嚇します。 

次に、酒や料理で接待を受けますが、このとき当家とアマハゲの間で餅の授受があります。

 冬に囲炉裏にあたってばかりいると、手足に火斑ができることがあります。この火斑のことを方言で『ナマミ』『アマミ』ということから、『アマハゲ』とは『火斑を剥ぐ』という意味であるとされています。

遊佐の人々にとってアマハゲは、火斑を剥いで怠け心を戒め、勤労を勧めるとともに、厄災を払い、無病息災をもたらす来訪神です。


●米川の水かぶり

宮城県登米市

開催日: 2月の初午

 宮城県登米市東和町米川の五日町地区に古くから伝わる火伏せ行事で、毎年2月の初午に行われます。口伝では江戸中期には既に行事が行われていました。地区の男だけが水かぶりの姿になり行事に参加できます。

 男達は、裸体の腰と肩に藁で作った『しめなわ』を巻き、『あたま』と『わっか』を頭から被り、足に草鞋を履き、顔に火の神様の印である竈の煤を塗ります。

この水かぶり装束を身に着け、男達は神様の使いに化身します。

 水かぶりの一団は大慈寺の秋葉山大権現と諏訪森大慈寺跡に祈願します。

その後、町に繰り出し家々の前に用意された水を屋根にかけ、町中の火伏せをします。町なかを北上し 八幡神社と若草神社に参拝後、更に東西に分かれ火伏せをしながら宿に戻ります。人々は男達が身に付けた『しめなわ』の藁を抜き取り、自家の火伏せのお守りにします。

水かぶりの一団とは別に、鐘を鳴らす墨染僧衣のひょっとこ(火男)と天秤棒に手桶を担いだおかめが、 家々を訪れご祝儀を頂きます。


●能登のアマメハギ

石川県輪島市・能登町

開催日:

1月2日:輪島市門前町皆月・五十洲 アマメハギ

1月14日・20日:輪島市輪島崎町・河井町 面様面頭

2月3日:能登町秋吉 アマメハギ

 能登のアマメハギは、石川県輪島市及び能登町に伝承される、 正月もしくは節分に行われる行事です。

晩になると、『アマメハギ』と称する神が人里を訪れるとされ、家々を巡り歩き、新春を祝福するとともに地域の災厄を祓います。

地域によっては『メンサマ』と呼ぶところもあります。

 囲炉裏などで長く暖をとっていると、手足に火ダコができますが、これを当地では『アマメ』といい、何もしない怠惰の表れと解しています。

アマメハギは、そのアマメを剥ぎとることに由来するとされ、怠惰を戒めるという意からそう呼ぶようになったといわれます。

 アマメハギには、各地区の青年や子供たちが扮しますが、天狗面や猿面など様々な面をつけ、手には包丁を持つなどして各家を訪れ、

「アマメを作っている者はいないか…アマ メー」

などと大声で叫び、怠惰を戒めつつ家人に言い聞かせては去っていきます。


●見島のカセドリ

佐賀県佐賀市

開催日::毎年2月第2土曜日

 見島のカセドリは、佐賀県佐賀市蓮池町の見島に伝承される小正月行事(現在は2月第2土曜日に固定)で、神の使いであるカセドリに扮した未婚の青年2名が地区の家々を巡り、新年を祝福します。

 雌雄のカセドリ役の2名は、蓑笠を身にまとい、顔には白手拭いを巻き、手には先端部分を細かく割った長さ約1.8mの青竹を持ちます。

 神事は、地区内にある熊野神社で始まります。

カセドリは、勢いよく拝殿に走り込み、両膝を付き、体を前にかがめて、持っている青竹を床に激しく小刻みに打ち鳴らします。その後、頃合いを見計らって差し出された盃に注がれた酒を飲み干し、同じ所作を続けます。

 神社での神事が終わると、行列を組んで地区内の家々を訪れ、カセドリは青竹を打ち鳴らします。この竹の音で悪霊を祓い、家内安全や五穀豊穣を祈願します。また、各家々で振舞われる酒を飲む時のカセドリの顔を見ることができた年は幸運に恵まれるという言い伝えもあります。


●薩摩硫黄島のメンドン

鹿児島県三島市

開催日:旧暦8月1日・2日

 薩摩硫黄島のメンドンは、『硫黄島八朔太鼓踊り』の行事日となる旧暦の8月1日、2日に現れる仮面神です。

『硫黄島八朔太鼓踊り』は、唄を歌いながら鉦を叩く『カネタタッドン』の踊りをかけ声を発しながら叩く10名の男子が輪になって踊る勇ましい祭りで、

やはり男子が扮するメンドンは、体を茅(カヤ)や藁を編んだ蓑で覆い、頭には、背負子を土台に竹ひごで骨組みしたものに紙を貼り黒と赤の模様を施したメンを被った出で立ちで地域内を徘徊し、

島では神木として扱われスッベン木と呼ばれる木の枝で観客らを叩き魔を祓う『硫黄島八朔太鼓踊り』のシンボル的存在です。

 メンドン(硫黄島八朔太鼓踊り)は、その特異性と鹿児島から日帰り出来ない交通事情も手伝って、最も見ることが難しい貴重なお祭りの一つとして知られています。


●甑島の ト ド ン

鹿児島県薩摩川内市

開催日:12月31日

 鹿児島県本土の西方の東シナ海上に位置する甑島(こしきじま)下甑に伝わる行事です。

トシドンは『年神様』の化身と言われており、天上界から子どもたちのことを見守っています。大晦日の夜に『首切れ馬』に乗って、従者をしたがえて子どもたちのいる家を訪れます。

「おるか おるか ここに来て障子を開けぇ」

と大きな声で子どもたちを呼び、その年の子どもたちの行儀に対し、良いところは褒め、悪いことは戒めます。また歌を歌わせたり、踊りを踊らせたりします。

最後に来年を良い子で過ごすように約束を交わし、 年餅と呼ばれる大きな餅を与えます。この年餅は年霊(トシダマ)と 呼ばれ、トシドンにもらうことで無事に年を一つ取ることができると言われています。

 この伝統行事は教育制度のない遠い時代に、文字の読み書きすらできなかった子どもたちを健全に育てるという理念のもとに行われています。


●悪石島のボゼ

鹿児島県十島村

開催日:旧暦7月16日

 吐噶喇(トカラ)列島・悪石島のボゼは、異様な容姿をもち、畏くも怖ろしいものとされており、盆の最終日となる旧暦7月16日の夕刻に現れ、人びとの邪気を追い祓う行事です。

 この日、墓地に隣接するテラと呼ぶ空地にて、3名の若者が赤土と墨を塗りつけた仮面を被り、体にはビロウの葉を巻き付け、手足にはシュロ皮やツグの葉を当てがうなどしてボゼに扮します。手には、それぞれボゼマラと称する長い杖を持っています。

 夕方、ボゼは呼び太鼓の音に導かれ、盆踊りで人びとが集まる広場に現れます。

ボゼは、ボゼマラの先端に付けた赤い泥を擦り付けようと、観衆を追い回します。この泥を付けられると悪魔祓いの利益があるとされ、特に女性は子宝に恵まれるなどといわれます。

 こうして邪気が祓われ、清まった人々の安堵と笑顔が満ちるなか、最後に盆踊りがもうひと踊りされ、以後は夜が明けるまで歌って踊ります。


●宮古島のパーントゥ

沖縄県宮古島市

開催日:

旧暦9月上旬(島尻)

旧暦12月最後の丑の日(野原)

 パーントゥとは、お化け、鬼神を意味する言葉であり、海の彼方からやってくるものとされています。

宮古島のパーントゥは、沖縄県宮古島市の島尻集落と野原集落に伝承されており、季節の節目に行われ、毎年旧暦の9月上旬(島尻集落)と、12月最後の丑の日(野原集落)に行われます。

その日にはパーントゥと称する異形の神が巡り歩き、地域とその人々の災厄を払うとされています。

 島尻のパーントゥは3人の若者が、体に蔓草(シイノキカズラ)を巻きつけ、その上から泥を全身に塗り、頭上には『マータ』とよぶススキを結んだものを1本挿し、片手には杖、もう一方には仮面をもって顔を隠します。

そして、家々を訪れ、集落内を巡り、出会った人々に泥を付けて歩き回り災厄を払います。なかでも新築の家や赤子のいる家では福をもたらすものと歓迎されています。

 野原のパーントゥでは、女性達は頭や腰にクロツグとセンニンソウを巻き付け、両手にはヤブニッケイの小枝を持ちます。

男の子の中の一人がパーントゥの面を着け、他の子は小太鼓やほら貝を鳴らしたてます。夕方の祈願の後に集落内の所定の道を練り歩きながら厄を払います。



関連リンク
  • なまはげ(男鹿市)
  • ナゴメハギ(能代市)
  • アマハゲ(にかほ市)
  • アマノハギ(にかほ市)
  • ヤマハゲ(秋田市)
  • 悪魔払い(秋田市)

◆参考書籍

・菅江真澄全集第

・菅江真澄遊覧記第 巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

・秋田叢書 巻

・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種標柱・説明板


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