追分三叉路


おいわけさんさろ

秋田市金足追分字海老穴

 

最終更新:2024/1/22

左は男鹿 右は能代


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:文化元年(1804)8月
  • 年齢:51歳
  • 書名:男鹿の秋風
  • 形式:日記、図絵
  • 詠歌(引用):みちのくの飽田の山は秋霧のたちののこまも近づきぬらし

真澄記:8月15日

 湖上の名月を見ようと天王に向かう。

真澄が訪れた当時は回りに何もない砂丘の道で、道標として朽ちたキツネの木像が岐路に立つのみであった。

キツネ像の目印

 か


 

 図絵にはキツネ像の横に『道祖神 左男鹿 右能代』と書かれており、表示石の役目を担っていたものと思われる。

標柱
📍 標柱データ(資料より)

前:菅江真澄の道 追分三叉路

横:文化元年(一八〇四)八月一五日

湖上のめいげつを見ようと天王に向かう

古歌に

みちのくの飽田の山は秋霧のたちののこまも近づきぬらし

 標柱は撤去済み。

かつては追分郵便局の入り口に建立されていた。


 船川街道(国道7号線、男鹿街道とも)は昔も今も男鹿・能代・秋田を結ぶ重要な交通ルート。

●三十三番観音碑

 男鹿街道が開通した後、文化2年(1805)太田玄碩なる人物が建立したという。

追分三叉路を基点として集落の出入り口や道路の結束点に点在するが、全てを見つけるのはむずかしい。

●出戸三輪神社

 下出戸の産土神。

男鹿街道沿いに鳥居が立つが、創建や御祭神などは不明。


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アクセス

  • 駐車場:なし
  • 案内板:なし
  • トイレ:なし

関連リンク


◆参考文献

・菅江真澄遊覧記第5巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

田叢書別集1

・真澄紀行/菅江真澄資料センター

・各種説明板


取材日:2017/03/17

2022/05/20