三倉鼻


みくらばな

 南秋田郡八郎潟町真坂 三倉鼻公園

 

最終更新:2024/1/25

海が近かった頃の頂上の景色は

どんな風景だったろうか


🖌菅江真澄の道
  • 初来訪:享和元年(1801)11月
  • 年齢:48歳
  • 書名:雪の道奥雪の出羽路
  • 形式:日記、図絵
  • 詠歌:たびころも身に寒風の山ちかく みゆるなぎさの氷る水海

澄記:11月12日

『天瀬川という村に、濁った小川が流れていた。
御鞍岬(三倉鼻)の坂の途中で休む。峰に7寸ばかりの地蔵菩薩が立っていた。
八郎潟の湖水が広がり、男鹿の赤神岳や寒風山が遠くに見えた。
この山陰に夫殿の権現が祀られている。脚摩乳の神を祀った清水があった。』

 

 真澄はその後もたびたび三倉鼻を訪れている。

📑 真澄記:その後の足跡
  • 文化6年(1809)7月13日:ひなの遊び(日記)
  • 文化7年(1810)1月23日:氷魚の村君(日記)
見出し

 あ

見出し
現在と真澄図絵の位置関係
現在と真澄図絵の位置関係

真澄記:11月12日

 天瀬川という村に、濁った小川が流れていた。
御鞍岬(三倉鼻)の坂の途中で休む。峰に7寸ばかりの地蔵菩薩が立っていた。
八郎潟の湖水が広がり、男鹿の赤神岳や寒風山が遠くに見えた。
この山陰に夫殿の権現が祀られている。脚摩乳の神を祀った清水があった。

標柱
📍 標柱 表記データ

前:菅江真澄の道 三倉鼻

横:享和元年(一八〇一)十一月十二日

《雪の道奥雪の出羽路》

たびころも身に寒風の山ちかく みゆるなぎさの氷る水海

後:平成二十四年三月

三種町教育委員会

 山頂に建立。

夫殿の権現

 あ

⊞ 伝説・夫殿の洞窟(説明板より)

 この洞窟(岩屋)は、昔、海岸だった頃の波の浸食作用によってつくられた洞穴と言われている。
縄文時代の住居にも利用された跡があり、
洞中には八竜権現と夫殿権現と足名槌神を祀る二小祠(ほこら)がある。
 昔、この洞窟に、二人の美しい少女と父修験者(おとど様)が住んでおり、
この姉妹が一人の若者に夫々求婚したがとどけられず、死にまつわる哀れな恋物語が 今に語り伝えられ、
姉は米盛り、妹は糖盛り、父は地蔵盛りに葬られ、 この三人の霊が合祀されている。




アクセス

  • 駐車場:なし
  • 案内板:なし
  • 備考:車は手前の三倉鼻児童館駐車場をご利用ください。

関連リンク

  • 姥御前神社
  • 消えた筑紫森
  • ひなの遊び
  • 氷魚の村君
  • 標柱『菅江真澄の道』

◆参考文献

・菅江真澄全集

・菅江真澄遊覧記第4巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

真澄遊覧記 第40集

・各種説明板


取材日:2017/6/6