蜘蛛舞 統人行事


くもまい とうにんぎょうじ

男鹿市船越、潟上市天王

 

最終更新:2024/1/16

冒頭のひとこと


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:年()月日
  • 年齢:ああ
  • 書名:ああ
  • 形式:ああ
  • 詠歌:ああ

真澄記:ああ

 

  • 来訪:文化元年年(1804)8月
  • 年齢:51歳
  • 男鹿の秋風
  • 形式:日記

真澄記:8月25日

 天王村に着き、千福川の渡しの事を緒形(雄潟)といった。

東湖八坂神社に詣でて、スサノオノミコトにまつわる一連の神事を聞き書きし、詳述している。

男鹿の秋風


 内容は現在行われている統人行事と寸分かわりなく、伝統の重みを感じさせる。

また真澄翁は『頭人』と表記していた。


◆統人行事

🍂景勝地・🏯名刹・🎌祭り
  • 祭日:ああ
  • 形態:ああ
  • 巡行:ああ
  • 人員:ああ
  • 奉納社:ああ

祭事データ

  • 祭日:年中、本祭7月7日
  • 巡行:天王町~船越水道
  • 人員:メインは一番統、二番統の各2人ずつ
  • 奉納社:東湖八坂神社

 東湖八坂神社の例祭で年間を通して行われる。

祭神の牛頭天王が元はスサノオノミコトである事から「八岐の大蛇退治」の故事と八郎潟周辺の水神信仰と習合させ、平安時代初期より始まったと伝わる。

 旧暦6月はもっとも疫病の発生しやすい時期であり、夏祭りはこの疫病を祓うために行われた。天王祭は、厄病除けの夏祭りなので旧6月を新暦にした7月とした。


◆統人

 一年間の祭事の中心となる神勤役

一番統、二番統がおり交代制。二番統は、専ら一番統の補佐役を担う。 

天王本郷と近郷六集落、それに男鹿船越から選ばれる。

 正式には新統一番竹、新統二番竹と呼ばれる。

⊞ 統人の役割

 本祭が終わった次の日から統人としての役目が始まる。一年間を通して様々な催事を取り仕切る。

この間、統人は全ての穢れを避けて祝儀や葬式などの忌み事に関係してならないというきまりが厳守される。

 

特に食事において、キュウリと五辛は絶対に食べることが許されない

 

⊞ 統人制の踏襲

 潟をはさんで隣り合う潟上市天王地区と男鹿市船越地区からそれぞれ『一番統』と、それを補佐 する『二番統』が選ばれ、両地区が互いに協力しながら祭事をすすめる。

 

 7月8日午前零時、統人の標(しるし)である『お竹』を受け新統人となり、翌年の7月7日まで任を勤める。

翌8日午前零時を境として古統となり、新統人の後見役を1年間勤めます。

したがって足かけ3年、満2年間にわたる期間となる。

 

 また健常な妻帯者であることが統人を受ける条件となる。

このしきたりは開闢以来一度も途絶えたことがない。

 

⊞ 統人行事を支える人々
統人以外にも複数の役職が地域から選別される。
⊞ 牛乗り

 天王祭の当日、酒部屋に籠りスサノオノミコトに扮し、牛に乗る役を勤める人。

志願する成人男子が成り手となる。

神格を身につけた牛乗りは意識を失った状態になり、神人になった牛乗りが巡行することによって町内が浄められる。

 御神牛は、黒の牡牛と決められている。

 

⊞ 牛曳き

 牛乗り神事に際して、牛乗りを世話したり、牛を曳いたりする人。

世襲であり成人男子が勤める。

 

⊞ 酒部屋親爺

 統人行事の実際の仕事の指導的な役割を担い、酒部屋(祭事の諸準備・お祈り等を行う部屋)の全ての権限をもつ。

妻帯していない年長者が勤める。

 

⊞ 牛口洗人

 牛乗り巡幸の際、途中で牛の口を洗う役を勤める人。

これも世襲であり、成人男子が勤める。

 

⊞ 太鼓叩き

 7月1日から7月7日まで、太鼓を打ち鳴らして歩く人で、太鼓かつぎ(1人)、太鼓叩き(2人)、笛吹き(2人)、ささらすり(1人)の6人で編成されており、中学生が勤める。

 


◆年間スケジュール

日時は全て旧暦に合わせて行われる。

(カッコ内表記は旧暦)

⊞ 12月17日及び1月6日:統人夜籠り式

 神官、神子、責任役員、氏子総代、新統人、古統人、警護人、謡人が参列。

夕刻、神楽殿において儀式を始める。ここで天王側と船越側に別れて対座、作法に則り盃事が行われる。

      参列者には、お神酒と御護符が配られ直会の祝宴が盛大に行われる。

 

⊞ 正月24日(2月24日):御味噌煮式

 

 天王祭にお供えされる七種神饌の一つ、御味噌を統前で作る儀。

まず芝土でかまどを二つ作り、それぞれ大釜をすえて一番、二番両統の味噌豆を入れる。

 夕刻、釜場前でお祓いの後、一晩煮続け翌朝、御味噌造りとなる。

 

⊞ 七種神饌(ななしなしんせん)

 七種とは、強飯(こわい)・お神酒・御味噌・豆もやし・蕎麦もやし・ 山ミズ・身欠鰊。

それぞれ柏葉の上に盛りつけて桶に入れ神前に供える。

 

⊞ 3月25日(2月25日):御味噌埋式

 両統それぞれの味噌桶を薦(こも)でつつみ、神社の境内埋設地へかついでいき、土中深く味噌桶を納め、御味噌埋の奉告祈祷祭を執行。

煮た豆の一部は、統前の神前に供えられた後、御護符としてわけあたえられる。

 酒部屋親爺の指図による

 

⊞ 6月20日(5月20日):ひえもの神事 内容
⊞ 6月24日(5月24日):酒部屋修祓式

 天王・船越両町の統前の家屋内に一坪半の酒部屋が作られる。

御味噌を納めておくほか、お籠りや特別な神事に用いる。

夕刻、修祓式執行。

神聖で清浄な酒部屋には7月1~8日まで毎日朝夕、お神酒と七盛りの赤飯を供え、神社に奉る七種神饌もここで調製する。酒部屋は、酒部屋人以外は絶対に入ることものぞき見ることもできない。

 

 酒部屋人は天王側では酒部屋親爺(さけべやのおやじ)、船越側では酒部屋姥(さけべやのうば)といい、素盞鳴尊の神話に登場する足名椎・手名椎にあたるといわれている。

 

⊞ 6月25日(5月25日):御味噌揚げ式

 3月25日に境内に埋められた御味噌を掘りだして、酒部屋へ納め、新一番統・二番統は神社で奉告祭を執行。

直会には酒部屋人、牛車り、 牛曳き、牛口洗い、責任役員、氏子総代、統人、警護人が参列。

こうして御味噌は、特別な神饌となり大がかりな儀式となる。

 

⊞ 6月28日(5月28日):大幣振り身固祈祷

 7月7日まで、毎日一回の身固祈祷(みがためきとう)を続ける。 

まず酒部屋親爺が神子を迎えるため、7回半往復し酒部屋へ招く(このとき神子は道中、一切の言葉を交わすのは禁忌)。

そして新一番・二番統人それぞれ一人ずつの大幣振り稚児が正装して酒部屋に入り、特別な祈祷が行われる。

 

⊞ 7月1日~7日:太鼓叩き・チャグラ舞

 7月1日から7日まで早朝、太鼓叩きが太鼓を打ちならして町内、神社、統屋を巡回する。

 天王と船越とで手順が異なる。

船越では太鼓叩きの他にチャグラ舞を行う。神社拝殿前、氏子総代、統屋の家などで舞った。

 

7月1日:大幟立て、大幣立式

 早朝に統人宅前に大幟を立てる。これは7月7日まで立てられる。

 同日の大幣立式は大幣囲い造りを敷地内で造り、神官の前で大幣棒を3本立てる。

 これも天王と船越で手順が異なる。

 

⊞ 7月5日(6月5日):朝詣り祈祷神楽式と御神輿磨き

 本祭も近づき、古統人も加わって吊桶に盛られた祭典行事もこの日から本番となる。

 朝詣りには牛乗り、くも舞、神社役員、氏子総代、天王・船越それぞれの統人、大幣振り、警護人が祈祷神楽式に参列する。

毎朝8日まで行われる。

 

⊞ 7月6日(6月6日):お竹迎え(七度半の朝詣り)

 神社に七回半往復して参拝する。

終わって、天王側古二番統人と新二番統人が神社を参拝して、脇本からお竹を迎えに出る。

途中、脇本浜の海水で身を浄める。お竹迎えに行く人は一切無言となり、うしろを振り向くこともできない。お竹は古くから脇本の神官の家から受けてくるものと決まっている。

 

7月6日(6月6日):七度半詣りと宵宮祭神楽式

 夕刻、天王・船越共に関係者全員で行列をくみ、鳥居から拝殿まで七度半詣りを行う。

 終わって、太鼓叩きをのぞく行列は拝殿での祭式に参列。やがて神楽殿において、宵宮祭神楽式神酒拝載式を行い、お囃しにあわせて『ホーレンギョウ』との掛け声が響く番楽が披露される。

 


7月7日(6月7日):本祭

朝神楽式と御神輿巡幸

 午後から出発。

巡幸列は八竜橋を渡り、船越のお旅所で小休止して引き返し、途中で櫛名田比売の意とされる神子が離れ、川中のくも舞船に着く。

両町の七度半朝詣りの後、神楽殿で神楽が奏でられる。

 天王御休場というお旅所では8つの大振りの抱き桶が御神輿に供えられる。これは、八岐大蛇退治のヤシオリの酒槽の故事とされている。


●牛乗り神事

 天王新二番統人が神社から牛曳きの家まで七度半足を運び、それを受けて牛曳きは酒部屋に入る。

酒部屋の中で統人は神格をまとった神人・スサノオノミコトとなる

八竜橋上の御神輿と天王側の御神牛、川中のくも舞と三者対峙して神話を再現するかのように神事が行われる。

 御幣は八郎潟の浄砂の上にマナゴを散らし、斎串(いぐし)をたて、牛乗りは幣を周回する。

くも舞が終わると、御神輿の巡幸列は再び出発。御神牛も続き、途中、井戸水の清水で口を洗う儀式を行う。


●くも舞(蜘蛛舞または雲舞)

 牛乗り神事と対をなし、対岸の男鹿市船越地区の統前で動める。

 真紅の装束を身にまといヤマタノオロチに扮した『くも舞人』が、船越水道に浮かぶ船に据え付けた2本の柱に張り渡した2本の網の上で、チョマンと呼ばれる赤装束の舞人が宙返りなどの動作をする。 

 これは、ヤマタノオロチが八つの谷や尾根を越え、八鹽折(ヤシオオリ)の酒を飲む様、そしてスサノオに切りつけられ、のたうちまわる様子を所作したものといわれる。


●初竹の神事

 囲いの中には、御神体としてのお竹が納められている。7月6日、統人が脇本の神官から携えたお竹は、一年間奉祀することになる。

 7日の祭礼儀式のすべてが終わると、送り統人と氏子総代は神社神楽殿に参集し、統人の代替わりの神事が行われる(後述)。

⊞ 真澄記:初竹の神事《男鹿の秋風》

 文化元年(1804)8月15日

朝早く土崎港を出て、出戸・江川を通り、天王町に着き牛頭天王社(東湖八坂神社)の神事の一つである、初竹の神事のことを記す。

六月一日から七日の神事まで、神主・頭人は御社にこもって、日ごとに御神楽がある。

 同じく、6日は竹伐りの神事が行われる。

神主が脇本村に行き、矢にする細い竹五本を切って湖水にひたして持ってくる。

むかしは『箭竹の神事』といっていたが、竹の生えているところをあちこちと探し求めるのが大変だった。

      生花(生鼻)の城主、阿部五郎友季が脇本に竹を植えさせて、初めて切ったものが元になって、『初竹の神事』と呼んでいる。

 


●本祭後

 翌日からすぐ翌年に向けて神事が始まる。

⊞ 7月8日(6月8日):新統お竹受けとお竹納め

 7日の祭礼儀式のすべてが終わると送り統人と氏子総代は神社神楽殿に参集。

8日午前零時、統人は拝殿前で宮司からお竹を受けます。お竹をかつぐと一切無言となり、迎え統人宅へ。この迎え統人が新統人となり、送り統人は古統人となる。 

 迎え統人の家では、家人はじめ客人まで戸外に出してあかりを消しており、敷地内に清い砂を盛り御幣を立てたお竹鎮座の所でお竹受けの儀式を行う。

 早朝、天王側の新二番統人がお竹を担ぎ、新一番統前に向かう。2人は再びお竹をかつぎ、神社でお竹納めの神事を行う。

 

⊞ 7月8日(6月8日):注連納め

 天王祭の最後の儀式。

新統・古統人をはじめ神社役員などの関係者全員は朝詣り・お祓いの後、一人一人が神前にすすみ首にかけた注連を納める。これによってすべての斎戒(浄め)が解かれる事になり、天王祭 の諸神事・諸行事も終了となる。

 

 こうして古統人は2年間の任務が終わり、新統人であったものは、古統人となって再び1年間の任務を続けるのであった。

 


●天王グリーンランド民俗資料館

 昭和61年(1986)に統人行事が国の重要無形民俗文化財に指定され、平成3年(1991)に天王町立伝承館が開館された。

 統人行事の各資料が充実している。


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COMING SOON・・・


アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:あり(東湖八坂神社)

関連リンク


◆参考文献

・菅江真澄遊覧記第5巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書別集第1

・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種説明板


取材日:2019/7/7