吉川 五明


吉川 五明

【きっかわ ごめい】

【人物】

 

  • 享保16年(1731)~享和三年(1803)

  • 久保田の商人、俳人


 秋田俳壇の全盛期を導いた人物として著名。具体的に言えば奥羽俳諧四天王の一人に数えられ、600人からの門弟を持った。


 作歌はゆうに六千を越えるといわれ、8代藩主・佐竹義敦(曙山)からも懇意にされたという。

八橋宝塔寺(秋田市)に松尾芭蕉没後80年を弔う記念碑を建立した。また秋田に馬鈴薯栽培を普及した功労者でもあった。


 菅江真澄とは天明5年(1785)3月、秋田への最初の旅の道中に出会っている。恐らく五明の勇名を聞きつけて真澄が訪ねたのだろう。《男鹿の島風》《ひなの遊び》に名前がみえ、八郎潟に関する句を引用していたりする。


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◆参考文献

・菅江真澄読本4/田口昌樹 著

・菅江真澄遊覧記第5巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

・秋田叢書 別集第一

・真澄紀行/菅江真澄資料センター

秋田牛鉄板焼 銀座五明HP
・各種説明板


最終更新:2023/3/4