徐福


徐福

【じょふく】

【人物】

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 中国で最も古い歴史書『史記』に、秦の始皇帝の命を受けてた男が、童男童女数千人を乗せた船で海を渡り、不老不死の薬を探しに東方に向けて旅立った、とある。


今からおよそ二千二百年前のことですが、その向かった先が日本であり、その命を受けた男が「徐福」だったと言われています。

徐福は神薬(薬草)を求めてさまざまな所を旅したためか、日本各地に徐福伝説が残されていますが、そのうちの一つが男鹿だという。


 菅江真澄は門前を訪ねたときの日記に、徐福塚(墓)を図絵と文章で記録しました。

それには、「古、渤海及び鉄利の人一千百余人が吾国を慕い来て、出羽国に置き、衣食を給して還した、と続日本記にある。

その異国の人たちがこの処に居った頃、武帝の廟或は大保田村の蘇武塚や、この徐福の塚など、その当時祭ったのかもしれぬ」

と書かれている。


       また絹篩にも徐福塚が記録されている。


 実際には徐福伝説は全国に散り男鹿の徐福塚もそれらの一つに過ぎず、現在の塚も真澄の図や文献をもとに復元されたレプリカである。


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◆参考文献

・菅江真澄全集

・菅江真澄遊覧記第5巻

/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳

国立国会図書館デジタルコレクション

・秋田叢書 巻

・絹篩

・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種説明板


最終更新:2024/3/14