八郎太郎


八郎太郎

【はちろうたろう】

【伝説】


編集中

 鹿角の八郎太郎伝説に「十和田から追われた八郎太郎は、鹿角を湖にしようとしたが、

これを阻止するために鹿角中の産土神たちが『花輪臥牛大寝下(はなわふくしおおねした)』の鍛冶屋12人に鉄槌と鶴嘴を打たせた」とある。

「花輪臥牛大寝下の鍛冶屋」とは、福士川の流れを利用して始まった野鍛冶で、その住んだところが

「日向屋敷」と言われている。

 やがて、花輪の街中に移り住むようになり江戸時代、花輪のまちでは鍛冶屋町が発達し、

文政年間(1818-30)には十数軒の鍛冶仲間が記録されている。

 鹿角鍛冶の製品は「鹿角鎌」が有名で、南部一帯、秋田、津軽にも売り出されたという。

その特徴は、研ぎやすいいことと、柄を長く作りつけてあるので鎌に力が入ることだという。

土草を刈って堆肥をつくるにはもってこいの道具であった。


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◆参考文献


最終更新:2024/4/12