だいじじ
横手市大森町字高口下水戸堤
最終更新:2024/1/14
端午の節句の時期には
鯉のぼりが空を泳ぎ華やかになります。
真澄の記録によると、竜渕山大慈寺は長和2年(1013)、後一条院の御代久我大納言六代の孫の三男・実方朝臣の建立した寺であるとされる(諸説あります)。
能登の諸嶽山総本山総持寺の孫末寺で住職が廿年に一度総持寺の輪住職となる。
📑[コラム1] 大慈寺の歴史
曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏であり、秋田六郡三十三観音霊場の第11番札所に指定されている。
鐘楼門は屋根が茅葺で残されており、この類例は秋田では珍しい(他に茅葺の楼門は大仙市南外の常泉寺などがある)。
佐竹東家の崇敬も受けた歴史もあってか、この楼門には佐竹家の家紋『五本骨扇に月に丸』が掲げられている。
📍[コラム2] 標柱データ
橋を越えた寺門の左脇に建立される。
大慈寺の須弥壇の後方に『アラビア太郎』の位牌堂がある。
本名・山下太郎。
明治22年(1889)~昭和42年(1967)
享年78。
横手市(旧大森町)出身。
明治中期にアラビアで油田を採掘し『日の丸油田』を成功させた実業家。
採掘した52抗すべてから原油が噴出し、
『成功したのはご先祖の加護があったから』と、母の命日に菩提寺の大慈寺に梵鐘を寄贈した。
Twitter雑葉集
大慈寺を参拝しました。菅江真澄は「雪の出羽路 平鹿郡」で文政7(1824)年に大森村を訪れています。#秋田県 #横手市 #秋田三十三観音霊場 #菅江真澄の道 pic.twitter.com/SLbV4iH5Eg
— 降魔成道 (@VsdVXgD2JSRYnUc) May 16, 2021
懐かしいですね。子どもの頃地元学習でアラビア太郎を学んだのですが、最初に名前を聞いたときはギャグかと思いました(笑)
— おこじょ (@ocojo_) May 19, 2019
大慈寺さんの真下。
— こえちょ (@koechokoecho) February 7, 2022
この川?のスペースはこういう訳なんや・・・・・😳
高校の同学年で、大森から来る「上田」さんがいたが、血縁者かも・・・・・
勉強なりました(-人-)ナムナム
自粛ムードなら、体力増進で山城へ…
— 鉄 (@tekkenoyaji) April 13, 2020
突然思い立ち、大森城へ…
元々横手の豪族の小野寺氏の居城横手城の支城です。 pic.twitter.com/eOmVBvFb4E
『アラビア太郎(杉森久英/講談社α文庫)』
— 乃帆書房 (@nohoshobo) July 13, 2018
山下太郎は旧大森町出身。
満州の事業で大成し「満州太郎」と呼ばれた。戦後、アラビア石油を設立、今度は「アラビア太郎」と呼ばれることになる。
『頼介伝(松原隆一郎/苦楽堂)』の松原頼介と同じ時代を生きた、秋田の実業家である。 pic.twitter.com/RSFLWSRfOi
「アラビア太郎」こと山下太郎サンのエピソードで好きなのが、石油の採掘権でアラブ側との交渉が難航していたある日、国王の誕生日に山下太郎サンは同じ型のキャデラックを十数台プレゼントした。これに国王は大感激。交渉は進展した。なぜなら、それは国王のガールフレンドの人数と同じだったから。
— 指南役 (@cynanyc) June 29, 2019
アクセス
- 駐車場:あり
- 案内板:あり
- トイレ:境内にはなし
- 備考:近くに商店街、図書館あり
関連リンク
- 大森城址
- 剣花山
- 神官びっちゃの家
- 雪の出羽路 平鹿郡
- 標柱『菅江真澄の道』
- 山下 太郎(アラビア太郎)
- 秋田三十三観音霊場
取材日:2017/5/3
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