大慈寺(大悲寺)

だいじじ

横手市大森町字高口下水戸堤

 

最終更新:2024/1/14

端午の節句の時期には

鯉のぼりが空を泳ぎ華やかになります。


🖌菅江真澄の道

  • 来訪:文政7年(1824)8月以降
  • 年齢:71歳
  • 書名:雪の出羽路 平鹿郡
  • 形式:地誌
  • 内容:参詣、由緒記録、図絵

真澄記:

 『さきがはら 大森村』の章に大慈寺の由来を記録。

また剱箇岬の図絵に大慈寺古跡の場所を示す。

長い橋を越えて

  真澄の記録によると、竜渕山大慈寺は長和2年(1013)、後一条院の御代久我大納言六代の孫の三男・実方朝臣の建立した寺であるとされる(諸説あります)。

能登の諸嶽山総本山総持寺の孫末寺で住職が廿年に一度総持寺の輪住職となる。

📑[コラム1] 大慈寺の歴史

  • 長和2年(1013) 久我大納言六代の孫・実方朝臣が今宿(雄物川町か横手黒川か)に開創。
  • 応安2年(1369) 源平や南北朝の争乱で衰退、曹洞宗に改宗。
  • 永正9年(1512) 阿気下夕谷地(大雄)に移転。
  • 宝永元年(1704) 佐竹東家の領地を拝領し、現在地に移転。「龍淵山大慈寺」と号する。

 曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏であり、秋田六郡三十三観音霊場の第11番札所に指定されている。

鐘楼門
鐘楼門

 鐘楼門は屋根が茅葺で残されており、この類例は秋田では珍しい(他に茅葺の楼門は大仙市南外の常泉寺などがある)。

佐竹東家の崇敬も受けた歴史もあってか、この楼門には佐竹家の家紋『五本骨扇に月に丸』が掲げられている。

標柱
健在
健在
📍[コラム2] 標柱データ
(正面)菅江真澄の道 大慈寺
(右面)竜渕山大慈寺は長和二年(一〇一三)後一条院の御代久我大納言六代の孫の三男 実方朝臣の建立した寺である。能登の諸嶽山総本山総持寺の孫末寺で住職が廿年に一度総持寺の輪住職となる。
(左面)文政七年(一八二四)真澄七十一歳の年 平鹿郡の調査記録のため大森村へ入り、その調査を終えたのは同年秋である。
(背面)雪の出羽路 大森町菅江真澄研究会建立

 橋を越えた寺門の左脇に建立される。

傑人・アラビア太郎

 大慈寺の須弥壇の後方に『アラビア太郎』の位牌堂がある。


 本名・山下太郎。
明治22年(1889)~昭和42年(1967)

享年78。
横手市(旧大森町)出身。


 明治中期にアラビアで油田を採掘し『日の丸油田』を成功させた実業家。
採掘した52抗すべてから原油が噴出し、
『成功したのはご先祖の加護があったから』と、母の命日に菩提寺の大慈寺に梵鐘を寄贈した。


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アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:境内にはなし
  • 備考:近くに商店街、図書館あり

関連リンク


◆参考文献
国立国会図書館デジタルコレクション

秋田叢書第5巻

・真澄紀行/菅江真澄資料センター

・人のふる里 秋田のお寺/秋田魁新報社
・大森町郷土史
・市報よこて 特集アラビア太郎
・各種説明板


取材日:2017/5/3