旧暦(太陰暦)と新暦(太陽暦)


旧暦(太陰暦)と新暦(太陽暦)

【きゅうれき(たいいんれき)/しんれき(たいようれき)】

【社会】


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 江戸時代の旧暦(太陰太陽歴)を調べると非常に複雑だ。

学者・渋川春海によって歴法が作られてからも月の満欠周期の誤差の修正などで4回の改暦が行われた。忠敬が属し師事した幕府天文方・高橋至時(と息子達)が天保歴を定めた事により、暦は一応の安定を見る。


伊勢暦 宣明歴


渋川春海 幕府天文方


旧暦(太陰太陽歴)


1684年10月29日 貞享歴(日本初発の暦)


陰陽頭土御門(安倍)泰邦


1755年(宝暦5) 宝暦甲戌(こうじゅつ)元暦


1771年(明和8) 修正宝暦甲戌元暦


1798年 寛政歴


1803年(享和3) 高橋至時 フランスのラランデ暦書を解読

至時⇒景保かげやす(至時の息子)⇒渋川景佑かげすけ(景保の弟) 天保壬寅元暦 天保歴(1844年)

定朔定気法を取り入れる


1827年(明治5)11月9日 太陽歴


その他暦書

具注歴、七曜歴、中星歴、など


秋田暦 藩によっては他の暦とは違うものを用いた(薩摩藩など)。




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◆参考書籍


最終更新:2024/3/24