旭川


あさひがわ

秋田市千秋明徳町~仁別

 

最終更新:2024/1/20

冒頭のひとこと


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:文化10年(1813)
  • 年齢:60歳
  • 書名:筆のまにまに 『あさひかわ』
  • 形式:随筆
  • 詠歌:あさ日川 夕日の色もせき入れて くれなゐふかき梅のした水

真澄記:

 真澄は文化10年3月、旭川をさかのぼり、《旭川》という日記を書いたと伝えられる。


 真澄が書いたとされる《旭川》は残念ながらこの日記は未だに発見されていない

しかし、この日記の断片は《筆のまにまに》第5巻の一節『あさ日川』の中にて命名に至る経緯が記されている。

説明板
📍 説明板 表記データ

菅江真澄の道 〝旭川〟命名由来碑


命名者・菅江真澄


 宝暦4年(1754)-文政12年(1829)7月19日歿、76歳、三河国(現・愛知県)の出身。

江戸時代後期の国学者・紀行家で、日本民俗学者の先駆者。姓は白井、本名 英二。

 晩年、秋田藩に迎えられ、地誌の制作・編纂に携わる。風俗・歴史・名所・旧蹟などを調査。

現在の秋田県内69市町村のうち、68市町村についての記録がある。


・命名由来

 わが秋田市の清流〝旭川〟の命名者が菅江真澄であることは、彼の随筆集「筆のまにまに」によって明らかである。

 真澄は、文化10年(1813)3月、旭川をさかのぼり、「旭 川」という日記を書いたと伝えられているが、残念ながらこの日記は未だに発見されていない。

 しかし、この日記の断片は、「筆のまにまに」第5巻の一節「あさ日川」の中に残されていて、その前文で、命名に至る経緯が記されている。


・あさ日川

久保田の一郷(ヒトサト)は、みなこの旭河の流をのみ汲ぬ。

そを、仁別川といふ人あり。

また泉川などいふ人あり。

そのさだかならず。

一とせ、公、那珂氏をめして、此河の名付よちのたまへば、那珂通博、

かしこまりて仁泉とまをし奉(アグ)れば、公、詩(カラウタ)にはよき名ならむ。和歌にはいかゝ゛あらむとありて止ぬ。

としを経ておのれみなもとを尋ねて、此川は旭河也。

そのよしは朝日の嶽より落流る也と、此事を、那珂氏をしてけいし奉れば、

公聞給ひて、あないみじ、旭川とは 詩にも歌にもよけむ。もともうるはしき各也と、めでくつがへり誉め給ひしも、むかし物語のごとく、公も通博みな此世におはしまさぬ事こそ、ねたく、くちをしき事かれ。

一とせの春、おのれ泉村にいたりて、田に水まかすとて旭川の流れをせき入る。

垣ねのもとに、紅梅の枝さし出て、咲たるを見しとき


あさ日川 夕日の色も せき入れて くれなゐふかき 梅のした水


とよみしを、公伝へ聞給ひて、

になうめで給ひしよし、人づてに聞て恐まりぬ。

(菅江真澄著『筆のまにまに』より)


公…秋田藩第9代藩主 佐竹義和(1775-1815年)

那珂通博(ナカミチヒロ)…藩校「明徳館」助教・儒学者(1748-1817年)


・あさ日川〔現代語訳〕

久保田の一郷(秋田市)は、皆がこの旭川の水を汲んで使っている。

この川を仁別川という人もあり、また泉川という人もあって、はっきりした名がなかった。

先年、義和公は、那珂通博はかしこまって仁泉と申し上げたところ、公は、その名を漢詩には良い名であるが、和歌にはどうであろうかと沙汰止みになった。

その後自分はその源を訪ねて、この川の名は旭川であるべきだと思った。

その理由は旭日の嶽から流れ落ちるからであると、この事を、那珂氏通じて謹んで申し上げたところ、公が聞き届けられて、たいへん素晴らしい、旭川という名は誌にも歌にもよく合う。

最も立派でふさわしい名であると、いたく感心なされて誉められたのも、昔の物語となり、公も通博も皆すでに亡くなられて今はこの世におられないのが、残念で、口惜しいことだ。

ある年の春、自分が泉村に赴いたら、田に水を引き入れるため旭川の流れをせき止め導き入れていた。

垣根のもとに、紅梅の枝が差し出て、花が咲いてるのを見たとき


あさ日川 夕日の色も せき入れて くれなゐふかき 梅のした水


と詠んだのを、公が伝え聞かれて、この上なく誉めてくだされたとのこと、人づてに聞いて恐れ多くも嬉しく感激した。


1990年10月18日

秋田ライオンズクラブ

 大町二丁目に架かる大町公園橋に設置されている。

近くの県道28号線の交差点付近に昭和63年(1988)に『菅江真澄の道』第一号の標柱が建立されていたが現在は撤去されている。


 この川は当時、『仁別川』『泉川』などと呼ばれ、はっきりした名がなかった。

真澄翁は秋田第9代藩主・佐竹義和公に具申し、この川の名は旭川であるべきだと思った。

その理由は旭日の嶽から流れ落ちるからであると那珂通博氏を通じて申し上げたところ、

公が聞き届けられて、たいへん素晴らしい、旭川という名は誌にも歌にもよく合う。最も立派でふさわしい名であると、いたく感心なされて誉められたという事だった。


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◆アクセス

  • 駐車場:なし
  • 案内板:なし
  • 備考:旭川ダムは駐車スペースあり

関連リンク


◆参考文献

・秋田市旭川郷土史
・菅江真澄随筆集/内田武志 編
・真澄紀行/菅江真澄資料センター
・各種説明板


取材日:2019/11/08

2022/09/12